新聞を読んでいて思うのは、中学校の教科書には結構大事な事がたくさん書かれていたということです

学校で勉強することなんて社会に出て何も役に立たない。

良く聞く言葉です。

それはそれで一理あります。

大人になってから、必要なことは必要なタイミングで改めて勉強するからです。
その勉強は、今必要なことに直結していますし、受動的ではなく能動的に選択して勉強をするわけですから非常に密度は濃いですし、能率も高いです。

ところが、縁あって中学校の教科書を改めて読み直してみると、学校の教科書スゲーってなりました。

毎日、できるだけちゃんと新聞は読んでいます。
ネットがあるから新聞なんていらないと、購読していなかった時期もあるのですが、やはり新聞を取っていると、一度に見える情報の量が多いため、気になるニュースをキャッチしやすいんです。
普通に仕事をしていて、話題が尽きることはありませんね、毎日ざっとでもいいんで新聞を読むだけで。
誰とでも話を合わせることができます。

朝の通勤でザックリ、昼休みに気になるところをじっくり。
夕刊もちゃんと取っています。
夕刊は翌日朝刊の予告編的な面もありますので、翌日の朝刊を読む際の時短にもなります。

ただ、あんまり意味のわからない言葉とかあっても、毎日読んでたらそのうちにわかるようになるだろう的な軽い読み方をしているのは事実でした。

それが、中学校の教科書を読むようになってその考え方が一変したのです。

「全部教科書に書いている」

 
ある意味衝撃でした。
私も学校で勉強することなんて社会に出て役には立たない。
けど、社会にでてからも勉強の連続やから、その訓練を今もしてるんやで~
っていうような「誤魔化し方(笑)」で子どもを指導してきました。

けど違う、社会の教科書にも英語の教科書にも理科の教科書にも・・・

大人になってから必要なことがたくさん書いてある。
むしろ大人にこそ必要なことが。

知識は重要ではなくて、知恵が重要。
知識を詰め込む学校の勉強はよろしくない。
という意見もあります。

では、その知恵を生み出すために必要な判断力はどのようにして培っていくのか。

世の中の多くのことを知ること。
世界は自分と同じような人間だけではないということを知ること。
その上で、いろんな考え方があるけど、自分の考え方はこうだ!という型を持つこと。

十分学校の教科書で学ぶことができるというか、できたのにしていなかった。
ということに気づかされたのです。

とは言え、そんなこと中学生に言ってもなかなか伝わりません。

ほとんど誰にも伝わらなくてもいいけど、一人でも二人でももしかしたら伝わって自分の視野を大きく持って活躍してくれる人がいればいいな~って思っています。