塾長ご挨拶

個別指導塾ライジングの理念は私の経験と連動していますので、私の経歴と共にこの塾を立ち上げた理由をお話しさせていただきます。
関西学院大学卒業後、就職もせずにインドのカルカッタ(現コルコタ)にある、マザーテレサの「死を待つ人の家」という施設でボランティア活動をしていました。

突拍子もない行動です。
熱かった、そして幼かったという感じでしょうか・・・。
でも、その経験が今の自分を形作っています。

就職活動の直前に阪神淡路大震災を経験し、自身は被災をしませんでしたが、被災してズタズタになっていた西宮、友人のいる宝塚・芦屋と住んでいる十三、居酒屋でアルバイトをしていた梅田をバイクで毎日往復する中で当時まだ若かった私は頭が混乱してしまいました。

水を求める人とお酒を求める人。
昼と夜で交互に毎日見るわけです。

人間って何なのか?
社会って何なのか?
自分って何なのか?

訳がわからないけど、昼はペットボトルに水を積み込みバイクで歩道を走り(車道は車がうまって不動状態)夜はお酒を求めて来る人がお客さんの居酒屋でバイト。毎日、大阪と兵庫を往復。

水もない状況の人たちがすぐとなりでいるのに、よく酒が飲めるなぁ・・・というなんとも言えない気持ち。
大人なら、そんなの普通かも知れない。、でも、まだ大人になりきれない大学生にはやっぱり衝撃的な毎日の繰り返しだったのです。

けど、ふと気づいたのが、「自分だって奥尻島の地震の時とか普通にお酒飲んでたやん」

そういう環境の中で・・・

誰かのためにならないといけない、なりたい、でも何をすればいいのかわからない、けど何かはしないといけない・・・。
そういう心理状態で始まった就職活動では「誰かのためになる業界」の医薬品業界や、インフラ業界等を回ると共に、「人間に一番大切なのは笑顔だ」と、吉本興業にも行くという迷走を重ね、挙句の果てに・・・以前行った「死を待つ人の家」での逃亡体験が頭から離れず、親の反対を押し切りインドへ旅立ってしまうという猛烈な親不孝行動にたどり着いてしまいました。
甘ちゃんの、「自分探し君」でした・・・。

(逃亡体験とは、21歳で初めての海外。しかも一人旅でインドに行ったときマラリアにかかってしまい、当時63キロだった体重が49キロという、骨と皮のみまで落ちてしまった状態で「死を待つ人の家」へ入って数分、中の惨状を目の当たりにし、その場から逃げ出してしまった体験です。)
追記:こちらに当時の体験を書きました。

考える所があり、帰国。
ここで一つ挫折体験があるのですが、それはまたいつかの機会で。
その後、学習塾で講師をするに至りました。

講師生活の中で、私の心に一番突き刺さったのが、子どもの「化ける」姿でした。
できなかったことができたとき、子どもの目の輝きが変わる、目に力が入る、その瞬間を見ることができる事でエネルギーを貰いました。

そのエネルギーを貰うことで、また別の子どもの目の輝きを変えて行く。
そういうサイクルの中で生きて行くことの中でついに「自分探し君」は迷走後の居場所を獲得していきました。

ただ、残念ながら、塾講師というものは食べていくにはなかなか厳しい職業でした。
諸事情の中、会社員と塾講師を並行してやりつつ、ここ数年は会社員に専念という状況になっておりましたが、やはり自分を活かす道はこの世界(教育業界)だという気持ちで、個別指導塾ライジングを立ち上げました。

一気に20年位をはしょってしまいましたが、すいません。

日本という国の子どもはなんだかんだ、世界の国々と比較すると恵まれていると考えられていましたし、私もそう考えていました。
ところが、現在の日本を見て、将来の日本を考えて、果たしてそういう状態が守られるのかと言えば、もうそうは言えないという状況ではないでしょうか?
大正9年に国勢調査が始まって以降、2015年の調査で初めて人口が減少に転じました。
2020年には総支出額が初めて減少に転じると見られています。
2025年には3人に一人が高齢者という超高齢化社会を迎えます。
そういう中、今の子どもたちには、自己実現をしつつも、親世代、祖父母世代も支えていくという重圧の中生きていかなければならない時代がもう目の前に迫ってきています。

子どもがどんどん減っていくのになんでそんな業界(塾業界)に飛び込むのか?と皆に言われました。
子どもが減っているからこそ、一人ひとりに実力をつけてもらわなければいけない。
他の誰かに任せるのではなくて、自分にしかできないことをしたい。
青臭いのですが、そういう思いがあります。

もはや日本人としてだけでなく、アジア人として、世界に出ていかないと生きていけない時代がそこまで来ています。
そういう社会状況の中、「自分で」夢や目標を見つけてそれに向かって「自分で」考えて行動できる子どもを育てるための手助けをしていきたいと考えています。

中国に『授人以魚 不如授人以漁』という言葉があります。
(老子が言ったとされます。”諸説あり”)
「人に魚を与えるのではなく、人に漁を教えろ」
人に魚を与えてしまったら、食べて終わりだが、釣具を与え、釣りを教えたら、ずっと食べていける、という意味で良く教育論に使われます。
釣具は道具であり、釣りは方法です。

「自分で生きていく道具を与え、自分で生きていく方法を教える」
とても大きなテーマになりますが、それをしたいというのが私が塾を立ち上げた大きな理由です。
私自身も明確な答えを持っているわけではありません。
道具は”知識”だろうな、方法は”知恵”だろうな・・・程度。
日々勉強をしているところです。
でも、私だけが教えることができる部分もありますし、逆に教えられてさらに成長していく部分もあります。
それをまた教える方に回していく。
そういう世界で生きたいと考えています。

塾長としての経験はありません。
立ち上げたばかりで合格実績も何もありません。
ただ、私自身は専業で約5年、サラリーマンと兼業で約10年、合計約15年の講師経験は持っています。

人生においては色々な挫折を経験し、迷走もした人間です。
失敗体験の宝庫でもあります。
その中で、立ち上がり、前へ進んでるのが今の自分、ライジングの名前はそこから取りました。
同じような迷走をさせない、「自分探し」なんて必要ない、確固たる自分を持つ人を育てたい。

そういう中で、最後の職業として塾を選びました。
サラリーマンとしてそこそこの仕事をあと20年することではなく、人にも、自分にも、迷惑をかけた家族にも誇れる仕事をあと30年する道を選択しました。

また、私自身「ネパールに学校を建てる」という夢も持っています。
理由はまた別の機会でということになりますが、私も子どもを応援しつつ、子どもにも応援されつつ、そういう関係の中でこの個別指導塾ライジングを運営して行きたいと考えています。

至らない部分もあるかと思いますが、なにとぞよろしくお願い致します。

2016年11月
個別指導塾ライジング 塾長 家村吉城
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