インドネタを4

インドネタを
インドネタを2
インドネタを3 の続きです。

インドへの初めての海外一人旅。
というか、初海外。

最初泣かされまくりましたが、しばらくして適応し、ガンジス河のほとりヴァラナシで機嫌良く過ごしていました。
インド満喫という感じ。
もちろん客引きや物乞いなど、いくらでもいましたが、もうそんなのは平気。

ヴァラナシでは日本人観光客とも結構出会いました。
その中でもとにかくテンションの高いやつが一人いて、話をすると、たまたま同じ大学で、同じ学年でという偶然。
川西の池田君だったか、池田の川西君だったか、なんとなくややこしい(何がややこしいかは大阪とか兵庫の人にしかわからないかも)名前だった記憶はありますが、はっきり覚えてはいません。

実はその川西池田君が私の運命を決定つけるキーマンになるのですが、それはまた先の話です。

川西池田君の提案で、一緒にネパールへ行くことに。
ビザとかは簡単にお金払ったらすぐ取れる感じ。
人生で初めて国境を歩いてまたぐという経験も。

ネパールのポカラという、湖がある静かな町にまず入り2,3日滞在して、バスで首都のカトマンズに移動し、ここは1週間弱滞在、その後飛行機でカルカッタまで行って、1週間弱滞在、そこから日本に帰るというその後のルートも決定しました。

が、ポカラについたその日。
私「ネパールって寒いなぁ・・・」
川西池田君「はぁ?暑いわ」
私「ホテルに毛布ってあるかな?」

寒いわけありません。
8月のネパールです。
ネパールと言ってもエヴェレスト登ってるわけではなく、、、

熱が急激に上がっていたのです。

ポカラのポも味わう間もなく、撃沈しました。

40度くらいまで急激に熱が上がり、その後ものすごい汗をかきながら下がったと思ったら、2日ほどでまた急激に上がり、また下がり、また上がるという発作的な発熱を繰り返します。
急激に熱が上がるときは夏でも寒いんだという事を知りました。

発熱はまだ良かったのですが、同時に風邪もひいたのかなんだかわからないのですが、咳が止まらなくなってしまったのです。
ほぼ寝ることができないほどの激しい咳が続き、肋骨が折れるんじゃないかくらい胸も痛い。
川西池田君は、とにかく病院へ行けというのですが、それが行けない。

一度目の発作のあと、病院に行きました。
そこで医者から出た名言。

ユーアー マラリア
バット ノープロブレム、、、

世の中にプロブレムなんてないんだ、マラリアなんか問題じゃない的響き。
ただ、このノープロブレムは自力で治せよ的な、見放された気持ちになりました(笑)

私はその後約10日弱ポカラのホテルのベッドで過ごします。
咳がひどすぎて、口にできた食事は10日でパン一切れほど。

一応「グルコース」?多分砂糖みたいな粉舐めたりはしてましたが、とにかく咳がしんどかったです。
ですので2度目、3度目の発作はきつかったですね。

あ、ちなみに川西池田君は「じゃぁ、頑張れよ」と次のカトマンズにあっさりと旅立ちました。

虚ろな意識の中、ポカラって雨が多いよな、と思っていたという記憶だけ何故かはっきりしています。
ただ、タイムリミットは迫って来ています。
なにせ、帰りのチケットだけは決まっているのです。

とにかくまずカトマンズに移動しないと。
歩けるようになったらすぐに移動の準備を始めました。

カトマンズまで8時間だったかな?バスで。
寝て起きたらカトマンズなんだからとにかく移動だけでもしておかないと、くらいの感覚でした。

予定では、、、

つづく
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