4カ国語同時学習で起きた異変!英語がクリアに聞こえるのに日本語が聞き取れないなんて事ある?!

塾のお知らせメールの最後に、お知らせの3倍くらいの長さのP.S.を付けてしまいまして、でも内容がかなり面白いとは思うのでこちらでも共有したいと思います。

先月、デュオリンゴで語学学習が万博状態になっている話をお伝えしましたが、その後アカウントを2つから3つに増やし、
スペイン語・中国語・韓国語を同時進行する「現在ちょっとやばい人」 として、生きています。
(もちろん、モチタンで英検1級レベルの単語に悪戦苦闘しながら、こちらも2アカウントで継続中です。)

ヒューマスの時も小5範囲から始めるところから、アカウントをもう一つ使って小2範囲からも始めてみるという大いなる人体実験をやりましたが、今出ている高校範囲まで全部終わってお休み中で、余裕が出た分、語学の方で大いなる人体実験を拡大して進行中という、「あなた、もしかして暇な人ですか」状態です。

あくまでも英語学習に役立つ何かを見つけるためであるとは言え、やりすぎ感もMAXです。
いつも問います。そこに再現性はあるのかと。
そして答えます。ないかもと。

が、そんな無謀なチャレンジの結果、ひとつ予想外の現象が起こりました。
それは、スペイン語(←4か月弱くらい前)に加え、韓国語と中国語を本格的にやり始めて(←多分2,3週間くらい前)から、
英語があり得ないくらいクリアに聞こえるようになった 一方で、
日本語の早口が聞きづらくなった という怪現象です。

英語のYouTubeや映画がほぼ字幕なしで楽しめるようになった反面、
漫才のような早口の日本語が、
「僕」が「ぼきゅ」「無防備」が「ぶぼうび」「ゆったり過ごして」が「ゆったりしゅごして」のように聞こえることがあり、母語の日本語を聞く時ですら耳が音を細かく分解しすぎているような不思議な感じがします。
これ、本当に突然と言ってもいいくらい急激に起こった変化なんです。

最初は少しパニックになりましたが、生活に支障が出るレベルではなく、
今は「へぇ、大人でも耳ってこんなに変わるんやな」と楽しんでいます。
そう、確実に耳は変化しているんです。

ヒューマスの時に体験した、大人でもこんなに計算力上がるんやなという体験に匹敵するくらい正直驚いています。

この変化は、韓国語、中国語をプラスして試行錯誤する中で、デュオリンゴを 文字に頼らず「耳ゲー・音ゲー」として使い、音に全振りし始めたことが原因ではないか、と思うに至りました。
日本語にない音の聞き分け訓練を音楽でやる「耳コピ」のようにやり始めた結果、英語も楽に聞こえるようになったのではないか、という話です。
耳の機能が変わったのではなく、音に対する意識が変わっただけなのかも知れないのですが。

つまり、語学学習においては、特に英語に関して、ある程度の年齢に達した段階でスタートすると、カタカナやローマ字という文字情報が「助け」になるのではなく、むしろ「邪魔」をしている可能性があるのではないか という仮説です。
年齢が低い時から始めると頼れる文字情報が少ないために音に頼らざるを得ない。
もしかしたら、早くから始めると耳ができるからいいというのは、耳の性能の問題ではなくて、意識の問題なのではないかとすら感じるようになりました。
つまり、「外国語は、意味をとらえることよりも、音楽に取り組む感覚でやれば、実はそこまでしんどくないのでは?」
という話なんです。

ちなみに、
「それ、どうやってるん?」と興味がある方は、いつでも聞いてください。
ひたすら耳コピの 完コピができるまで進まない という、
おそらく誰もやっていないであろう、デュオリンゴの使い方のデモをします(笑)

ただ、一つ注意点があって、
それは、人前でやるのはめちゃくちゃ恥ずかしいという事です。
僕がそれをやってる姿を見たら、多分、キャラが変わったどころか、「あ、この人、なんかにとりつかれた?」と思われてしまうかも知れないレベルです(笑)

中で何か動いてるんちゃうかってくらい耳を使いますし、口はめちゃくちゃ大げさに動かします。だから30分くらいやれば、本当にため息が出るくらいめちゃくちゃ疲れます。
なので皆さん必ず、一人の時にやってください。
中学校の英語の教科書と音源を使って同じやり方でやってみましたが、正直それすらきつかったです。

「英語は音読がすべて」ってことで、教科書の音読をひたすらやれー!って、そればかり言い続けていまして、それはもちろん変わらないのですけど、まだまだ甘かったって事なんです。

ちょっと言い方を変えます。
「音読は耳コピで完コピできるまでやれ」です。

スピード、音の高低、間、なにもかもすべてです。音声と被せて音読して、完全一致したと自分が(自分の判断でいいです)思えるまで繰り返します。一文単位で。
もちろん最初は文字を見てもオッケーです。
意味はそれほど意識しなくてもいいというか、むしろあえて意識せず、耳と口に集中するのですが、何度も読んでいるうちに意味はあとから勝手についてきます。
これにはデュオリンゴがわりともってこいでして、何がかと言えば、一文単位で音声ボタンがついているからなんです。巻き戻しとかをしなくてもいい。
あと、中学校のニューホライズンの教科書のQRコードを読み込めば聞ける音声も同じく1文単位でポチっとリピートできます。
めちゃくちゃいいですよ。
あと、逆に意味がわからない言語でやる方が効果が高いかもしれないです。
音に頼らざるを得ないという点が、大事です。
だから、ベトナム語でも、タイ語でもヒンディーでもいいと思うんです。
(ただ、それらの言語は英語話者向けのコースにしかないと思いますのでちょっとハードルは高いかもですけど、意味わからなくていいと思えば、むしろ効果的かも知れないとも思います)

言語は音が命。
音楽ですよ。そして、舌とか、喉とか、スポーツですよ。

熱弁しました。
音読が大事だということはずっと言ってますが、今回ほど実感したことは僕自身もなかったのかも知れません。
熱く熱く、暑苦しいくらい語りました。
でも僕は知ってます。悲しいくらい知ってます。
小4くらいまではギリオッケーでも、5、6年以降、さらに中学生なんてもう完全にそうなんですが、
思春期の入口もしくは真っ最中の人達にとっては音読(しかもガチ音読なんてとんでもない)は恥ずかしい。
そう、やらない理由は「は・ず・か・し・い」なんです。
だから僕が音読せー音読せーって百回言っても一回もしてくれない。
目黒蓮が言ったらしてくれるかも知れませんけど(笑)
もうわかってます。
たしかにめんどくさいってのもある。
本当に効果あるの?って疑ってるのもある。
音読は「やってなくてもバレへんし」って気持ち、それもある(←いや、それはバレてます。)

だからこそあえて、言わせてください。
「逆にもう、吹っ切ってください。
超絶オーバーなくらいもう完全に一人で完コピ音読をしまくれば急激に伸びる。
もはや人前では絶対にできないレベルまでやる、だから隠れてやる。
もう親の前でも無理ってなるくらいに全力で。」
親も一緒にやって恥ずかしさの共有という手はありますけど、人目があると、集中できないのと、音源以外の音なしでやりたいのでやっぱり一人ですね(笑)

語学は音楽でもあり、スポーツでもある。ただし練習はこっそりと。

言語を習得したければ、恥を超えていけ、というまさかの結論でした(笑)
もちろん、会話するときは普通でいいんです。
学校の授業での音読?そんなんめっちゃ普通にやればいいんです。
闇練習を全力でやって耳と口をつくればあとは普通で十分です。

この耳と口の改造(と言えるかどうかはわかりませんが)だけはもっと早く知りたかったかなという気持ちはありますけど、英語に関しては、ようやく「好きなものを見て聞くだけで学べる」という夢のような段階に入ってきた実感があります。
とは言え、英語は長年勉強をし続けているというのもあるわけですから、この仮説が正しいかどうかは、英語だけの変化ではわからないのかも知れませんので、あくまでも仮説のままです。
ただ、この説は、英語の音読によって得た変化ではないという所がポイントで、もしかしたら普遍的な事なのかなという気持ちはあります。
他の言語についても同じなのか、それについてはまだまだ途中経過なので、人体実験はまだ続きます。

また何か面白い変化があればご報告します。
今回も長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。